家族と言葉と写真

走り始めた山屋の家庭生活と育児記録。

この数か月の顛末

以前、妻が入院した、としてメインブログの更新を停止して、本当にメモ代わりにこのブログを始めたのですが・・・結局ほぼ更新できず。

それなのに毎日アクセスが数十、時には数百・・・。

本当に有りがたい事です。

 

妻が入院したのは端的に言って切迫早産の為です。

出血があり、緊急入院となりました。

「おめでたなんだから隠すこともなかったんちゃうん?」って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、まあまあ事態は深刻で、薄氷を踏む思いで毎週、毎週、なんとかやっていました。

 

実は我々夫婦、二人目の出産時も切迫早産で2度、入院しています。

その経験から、3人目も切迫になる可能性が高い(といっても10%程度らしいですが)のに、浮かれて皆さんに妊娠報告なんてして、何かあって気まずい事になったら嫌だな・・。と黙っていました。

 

切迫早産の場合、気まずい事、というどころでは無い事態が多々想像出来ます。

最悪は死産、悪けりゃ早産とどちらもなかなかヘビーな報告をするハメになるので、ずっと黙っていた次第です。

 

それが実は先日、母子ともに無事退院する事になりましたので、記憶を探りながら事の顛末を記したいと思います。

 

誰か興味あるのか・・・?

 とても長くなると思いますので、暇な時に暇つぶしとして読んで頂けたら幸いです。

 

1月、妻が切迫早産で入院

まず1月、妻が入院して、家事は本当に困った。家事能力がゼロに近かったので、すべて手探りでした。

掃除は細かくタスク分けとスケジュールを決めてその通りにやるだけ、洗濯は畳むのを娘たちが率先してやってくれるようになったので、かなり楽でした。

しかし問題は料理。

私はカレーライスすら満足に作れない料理音痴でしたし、経験もほぼゼロでしたから、料理の事を考えるだけで頭が重くなり、毎日憂鬱でした。

その料理の事を考えて買い出しに出かけるのは、更に難しい。

時間がなさ過ぎて、1週間分の買い物を1日で済ませないといけないので、単純に毎日朝晩×7日間分の食材を買い集めなければならないのです。

最初は本当に時間がかかった。

それ以上に学校の対応など、色々役員をやっていたことも有り、かなり難儀しました。

が、妻の友人たちが頼りになる方、親切な方ばかりで、全面的に助けていただき・・・。

なんとか乗り越えました。

幼稚園の役員をなんとかこなし・・。

やはり幼稚園はママと子供を中心にコミュニティが出来上がっている為、旦那では難しいところです。

 

新型コロナウイルスと休校対応

3月、新型コロナウィルスの感染防止策として、休校が始まりました。

それまでは朝、長女を学校に送り出した後、6歳児を幼稚園に送っていき、その足で出社。

午後3時に幼稚園が終わる娘を、色々な人に迎えに行って頂き・・・という生活を、なんとか、ほんとうにギリギリですがやっていけていました。

しかし休校が始まると、そうもいきません。それどころか、今度は姪や甥にも昼間一人になってしまう、という子が出てきます。

そこでかわるがわる、休みながら子供たちを見る事になったのですが、全ての日を預けられるわけではありませんでした。

我が家では子供にタブレットを与え、ラインを入れたり、双方向通話可能な監視カメラを導入したりして、子供たちだけで不安なく過ごせるようになんとかやっていました・・・。

最初は本当に不安でしたが、なんとかなるもんです。

やはり思うのは、文明の利器を使わない手はない。

もっと言えば、各自に心拍計もつけさせて、常にオンラインで親に状況を送り続け、何かあればアラートを送る、というようなシステムも欲しかったですが。

 

そして運命の4月

4月。目標としていた4月まで、なんとかもちました。

4月に入れば早産ではなくなります。また、4月2日以降なら、早生まれではなくなるので、勉強も運動も、小学校卒業くらいまでは圧倒的に有利になるのです!

という事で目標としていたのですが、なんとか達成。

そして運命の3日。

あとは生まれるだけ、という事で退院する予定だったのですが、退院当日の早朝、妻から「破水したから今から来て」との連絡が。

 

私はもうこの数か月間の事を考えると、「やっとか」という思いで、のんびりと噛み締めながら病院に向かったのですが・・・途中、猛スピードで私を煽ってくるBMWが一台。

なんだか水を差されたような気がして嫌でした(汗)

 

そして病院に到着すると、そのBMWも病院に。そして医師用の入り口から入っていったので、「ああ、手術かなんかなんだろうな」と、得心しました。

私が病棟に到着すると、すぐに分娩室に案内されたのですが、主治医でない先生と助産師さんがやってきて

「今、大出血を起こしているので、緊急手術をします。おそらく胎盤が剥がれてきてしまっていますので、自然分娩出来ません、帝王切開となります。同意書にサインを・・・」

と。

破水じゃなくて、出血だったんですね。

 

 

私は「そうですかそうですか、それは仕方ないですね!安全第一ですからね」とサインをしたのですが、妻は「聞いてない!傷が残るのは嫌!」と言っていましたw

そこにさきほどのBMWから降りて来たお医者様が来て、麻酔の説明をして下さいました。

麻酔医の先生だったのですねwそれにしてもあんなに急がなくてもwwと思いましたが・・・。

 

その後妻は手術室へ。1時間後ほどしたら、病室で待っていた私の前に赤ちゃん登場!!

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49cm3050kgと、1か月早い割には普通の赤ちゃん。

顔が私に似ている様だったので多少残念でしたが、それでもとてもかわいかったです。

妻も無事、病室に帰ってきました(その日一日、とっても痛かったらしいですが)。

執刀医の先生もやってきて、すーーーんごい安心した、一仕事した、という顔で手術の説明をして下さいました。

妻の出産にそこまでの情熱を持ってくれたことで、とても嬉しかった。

そこに主治医の先生も来て、

「どれくらい剥がれていました?」

「そこまでじゃなかった、指でペロって剥がれるくらい」

みたいな会話をしていました。

その後、その剥がれた胎盤を助産師さんが持ってきてくれたんですが、私は恥ずかしながら貧血を起こしそうになりましたww

妻からは「あんなのが怖いくらいならゾンビドラマ見るな」と言われました。

 

 

常位胎盤早期剥離

その後。妻も子も、何の問題もなく日々が過ぎて行ったのですが。

 

ふとネットを読んでいて、目に入った記事。(多分はてなブックマークのホットエントリーに上がって来てた)


このブログの方、出産時に妻子を亡くされて・・。

私も妻が出産直後なので、なんだか感情移入して泣いてしまいました。

 

でも、え・・・?

常位胎盤早期剥離、って今回の手術の紙に書いてあったヤツだ・・・。

驚きました。一緒だ。

3割~5割が死産・・・?

残りの内、2割に障害が残る・・?

 

あー。そりゃあ麻酔医の先生、車トばしてくるわ。

執刀医の先生も仕事やり切った感出すわ。

助産師さんが「旦那さん、すごい落ち着いていましたね!」と妻に言っていたらしいですが、そりゃそうです。

そこまでの事だと理解していなかったww

 

もし入院していなかったら、手術まで時間がかかり、もしかしたら子供は無事に生まれていなかったかもしれません。

もう、神様なのか仏様なのか御嶽さんなのかなんなのかわかりませんが、ありがとう。

 

なにより、病院の皆さん、死力を尽くして下さって、本当にありがとう。

 

1人目の時は50%の確率でダウン症、だと言われました。

2人目の時は切迫早産。

3人目は切迫早産&常位胎盤早期剥離。

いくら子供が大好きな私でも、ここまでくると、さすがにもう子供を作る気にはなりません(汗)

 

しかしなんとか無事に、健康でいられるのは、本当に助けて下さった医療関係者の皆さんのお陰なのです。

 

 

とまあ、こんなところが、ざっくりとした顛末です。

書きたい事は沢山有りますが、まあとりあえずはそんなこんな、です。

 

心配してくださった皆様、ありがとうございます。

今後はなんとなく、育児の事はこっちに書いていこうと思います。